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あまね

球体関節人形製作の記録

リアリティ

ここ数日、色々と考えていた。



はじめは「何となく楽しい」「大きいのやってみよう、小さいのやってみよう」だけでも作れたが、だんだんと目の前の思いつきだけで新しく人形を作る事が苦しくなってくる。


先の事を考え、どうしたいのか、そのために何をしようか…点ではなく線で考えながら、今の作業を次に繋げていかねば先に進めない気がする。


当然だけど時間は無限じゃない。
こうして文を打ち込んでいる間も、時間はすり減ってゆく。
そんな中、ただ漠然と一体一体と数をこなしても結局、同じ事の繰り返しにしか思えず、いつまでたっても先が見えてこない。何か明確な意識を持たねば。



手は動かすか動かさないか、というだけの話で、どんな時でも手は止めちゃいけないと思うから人形は毎日作っているのだが…


人形製作というのはおそらく、自分自身と向き合って、その中でひとつづつ何かを見つけてゆく作業。
その意味では少し止まっている。



作品のためのパーツパーツは、外の世界で色々なものを見て、聞いて、選んで、たくさん集める事が出来るが、一番大事な核となるものは自分の中にしか無い。


外の世界の出来事は全て「そうかもしれない」というだけで、リアルなのは唯一、自分が自分であるという事だけなのだから、自分を突き詰めてゆく他、作品にリアリティを持たせる手段はない。



人形の中にはデフォルメされていても、リアルな造形ではなくとも、圧倒的にリアルな迫力を訴えかけてくるものがある。
そこに確かな、リアルな自分自身が刻まれているからであろう。


リアルな造形をしたい、ではなくリアルなイメージを造形に結びつけられるようになる、という事。
イメージさえ確かならば、デフォルメされていようと、幻想で作ろうとリアリティは持たせる事が出来る。



最近、自分の中で何を美しいとするかが色々な方向に分散して悩んでいるのだが、リアルの基準をどこに置くかが違うだけで、明確な意識を持つ事さえしっかり根をはっておけば、何をしてもどんな方向に行っても大丈夫かもしれない…結局作るのは自分だし、出来た人形は自分なのだから。



せっかく人形の世界では自由になれるのだから、まだまだ人形の世界で自由に遊んでみよう。